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ブログ更新情報


      誰かの一部ではなく、自分が自分自身であるということ。ペツェッティーノはレオ・レオニーが作った本の主人公で、小さなかけら(Little Piece)という意味である。〜あらすじ〜みんなに比べて小さいペツェッティーノは自分を「誰かの取るに足らない部分品」であり、何かの一部で「主体性を持たない付属物」だと考えていた。そこで彼は本体を探しに行くことにした。「僕はあなたの部分品ですか(Am I a little piece of...
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2015年11月11日


10月10日 勉強会【絵本スイミーから学ぶ】小学校の国語の教科書の多くに題材として起用されている絵本『スイミー』(著レオ=レオニ)。20前後の年齢になって、改めて読み返したとき何を感じ取るだろうか。何を学ぶことができるのだろうか。この絵本から捉えることのできるメッセージ。小さな魚のスイミーが、心の中に大きな魚のイメージを持つことができた。「目標・希望」を見据えることの重要さスイミーは仲間たちに言った、「...
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2015年10月28日


ゲームをする中で注意を払うべきものは、自分のストロークがエースになったから良い、ネットに引っかかったから悪い、サイドに出たから悪いという評価ではなく、1つ1つのショットがどこに落ちたかである。自分の考えや感情はどこかに置いておき、そのショットを打った自分を評価しない。どこに引っかかったのか、落ちたのか、その現実だけを直視し、しっかりと認識する。そこに良かった悪かったの評価はいらない。自分の自然習...
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2015年9月15日


無知とは、知識の欠如、不足ではない。知識で頭の中が目詰まりして、新しい知識を受け入れる余地がない状態を無知と捉えることができる。何を訊かれても、自分はなんでも知っている、そんなことはわかっていると応じる態度こそ、典型的な無知の様態であろう。いくら物を知っているといえど、今自分が用いている情報処理システムを変えたくない人は、自ら進んで無知になるものである。自分が採用している思考の枠組に固執して、...
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2015年7月21日


〜新入生、そして2、3、4年生に向けて〜『高校生を卒業できていますか?』あなたがたは制度的に高校を卒業している。そして大学に入学をしている。しかし、意識の部分、内面的に本当に高校を卒業できているのか。「私たちの高校はこうだった。」「私の高校の部ではこうだった。」「高校ではこうすれば正解だった。」こういった発言をする部員に時としてお目にかかる。この発言の裏には暗に今の不快に対する不満や抵抗がみてとれ...
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2015年6月5日