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2017

現状を越える

2017年度・夏合宿の大きなテーマは「現状を越える」であった。現状を越えるためには、習慣性を容赦なく越えていこうとする意志を経験することが課題になる。習慣性を超えるということが何か新しいものを入れることだすれば、出さなければならないものがある。それは学ぶことへの衝動を妨害するような、自分の中にあるJunkな情報であろう。例えば、周囲の視線を気にしてびくびくするというような行為は、無意味な馴れ合いや無気力、そして怠惰な関係につながる可能性がある。現状を越えたい・学んでいこうとする時に妨げる力となる。このような状態から脱しない限り、新しい何かは入ってこない。では、何を入れるのか。それは自分が採用している処理システムとは異なるような、自分の知的枠組みの変更を迫られるような情報といっていいかも知れない。それは自分にとっては異質なものといえる。ところが、異質なものを入れようとせず、入力を拒否し自分に固執する。情報を自分自身で取捨選択することは大切だが、異質な情報全てを遮断することは考えなければならない。その状態こそ、「無知」と呼ばれるものである。大体において、「無知」はその都度の自己都合によって作り出されている。つまり「無知」による武装がなされる。シャットダウンとはそのような状態である。色々なものが異質である中で、その異質を取り込んだり、受け入れていくのが人間である。"そういうものもある”と受け入れる自分自身の器を大きくしていくことが求められるのだ。すなわち許容範囲を大きくできるかどうかが鍵であるが、これは妥協するということではない。

人間は異質なものを受け入れることが自然である。例えば、思春期には体と心に「ズレ」が生じる。自分の声や顔、話の内容等が変化し、自分に違和感を抱くようになる。その現れた自分の中の異質とどう馴染んでゆくかが大人になることへの重要な課題となる。他者とのコミュニケーションは異質なものと折り合いをどうつけるかということである。そのプロセスを経て、大人になるのだ。「本当の自分」は何かと自問自答し続けても恐らく答えは見つからない。自分自身の中の「異質なもの」と折り合いをつけることを学べば、自分の外にある「異質なもの」との折り合いをつけることもできるだろう。

 人間は、純粋で完全なアイデンティティを持っていて、「自分はこうだ!」という明確な答えが存在すると考えていると、自己と他者の境界線がはっきりしない曖昧な自己同一性に耐えられなくなる。何としても完全なアイデンティティをキープしたいと考える。そこでよく言われる「自分探し」とか「自分らしさ」を求め始める。「本当の自分」という素晴らしいものがあると信じて。しかし自己と他者のはっきりした境界線など元からなく、そんなものは入り組んだものなのである。本当の自分などというものは幻想であり、見つかるはずがないのだ。このことが分かっていなければ、異質を受け入れることなどとてもできそうにない。

もし自分を閉鎖的で閉じた存在だとしてしまえば、「異質なもの」は不快であり排除すべきものであり続けるだろう。自我中心に囚われた人間は、折り合いをつけることはできないであろう。自分の中の異質なもの、自分の外の異質なものと折り合いをつけられるようになってコミュニケーションや学びは成立する。「これが自分である」と考え、我執に囚われている限り、現状を越えることはできない。

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