Blog

ブログ更新情報


2017

「見る」ということ

「見る」ということ

 目で見た情報は、二つの経路で処理される。

 一つは網膜から視神経を経て視床から大脳の第一次視覚野に届く経路である。もう一つは視神経から視床の手前で枝分かれして上丘に伝えられる経路である。上丘の機能は発達しておらず、上丘で見ているものは意識に現れない。しかしこの上丘には重要な役割がある。例えば盲視という現象がある。左右どちらかの第一次視覚野を損傷した場合、どちらかの視野半分を失う。しかしそうした人でも、失った側の視野に点灯された光の位置を当てることができる。見えていないはずなのに見えている。これが盲視である。これは上丘の働きによるものと考えられている。
 上丘はスポーツにおいても重要な役割を持つ。バドミントンのスマッシュは0.4秒ほどで相手プレーヤーを通過する。これを第一の情報処理経路で判断していては打ち返すのは困難である。ものや文字を見て判断するまで0.5秒ほどかかるからである。選手はほとんど無意識のうちに打ち返す。これも上丘の働きによるのではないかと考えられている。そもそも上丘での処理は原始的かつ単純であるために、素早く的確な判断が可能なのである。

 一方、第一の経路では、外的情報(光)が網膜で電気信号に変換され視床(外側膝状体)で受け取る情報は20%、さらに第一次視覚野ではそのうちの15%であり、最終的に網膜から受け取る情報はたったの3%に過ぎない。では、残りの97%はどこからの情報かというと脳の内部情報である。だから、視覚情報処理は二方式あると考えればわかりやすい。一つは網膜から上がってくる外の世界の情報(ボトムアップ方式で3%)、もう一つは脳の内なる情報(トップダウン方式で97%)である。ここで注目したいのはトップダウン方式である。情報が記憶の中にカテゴライズされ保管されている。そこへ網膜からわずかな情報が上がってくる。その3%ばかりのわずかな情報を手がかり、きっかけにして判断のためのメカニズムが作動するのである。つまり「スマッシュとはかくあるもの(スピード、コース、角度など」という記憶がカテゴライズされ保存されている。この97%の情報とは、脳内に保存された記憶と脳の自発(内発)活動で埋め込まれるものである。


ここまでの話で、何をどうバドミントンと関係づけようとしているかみんなはわかるだろうか。

1、脳にある程度、予備知識的な情報が蓄積されていないと予測は不可能である。言いかえると、経験がないと予測はできない。だから  初級者は経験が絶対的に不足しているため悲しいかな様々なシャトルのフライトに面食らってしまうのである。スマッシュを返球することも困難になる。かつて阿部一佳先生はバドミントン・プレーヤーには「先取りされた能動的視覚」の能力が必要であると話をされた。
 それでは経験を積んでさえいればうまくいくのだろうか。残念ながら、そうはうまくいかない。経験したことを記憶し、いつでもそれを引き出せるように整理保管(記憶のカテゴリー化)していなければだめなのである。そのためには学習(復習)が欠かせない。トレーニングの復による記憶の定着が必要なのだ。「経験」、「記憶」、「予測」、重要なワードである。


2、指導者は「よく見ろ!」と選手に言う。見ることによって何が得られるのか。何が得られると考えているのだろうか。そもそも網膜から受け取る情報はわずか3%だ。そのことを知って言っているのだろうか。
 「見る」ということには欠点もある。
 よく見ろ!と言うと首を前に出す選手がいる。良く見ようとすると首が前に出る。これはスマッシュのプレッシャーを受けた時の形である。スマッシュのプレッシャーを受けると首が前に出る。裏返せば、首が前に出るときはほぼ確実にプレッシャーをもらっていると言っていい。強い攻撃を受けること、強いプレーヤーと出遭うことは、そこに畏敬空間とでも呼べるものを作り出し、恐怖の対象をも見ることになるのである。
 首を前に出し、文字通り眼球で必死に対象を見るのではなく、まなざしとでも言えるような比喩的な見る行為の枠組みを考えてみることも重要なのではないか。「脳で見る」、「心で見る」ような心的な働きとしての視覚である。

コメント
名前

内容