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2016

脳の可塑性と練習

 我々は通常、片方の手には5本の指を持って生まれてくる。しかし、ときに指の形成段階において,指と指がうまく分断されず、2本が合わさって1本の指のようになってしまい、実質的に4本しか指が存在しないということも起こる。では、このように一体化してしまった指を一本ずつ分離させた場合、それらの指はどのように動くだろうか?

 答えは、分離された2本の指は連動して同じ動きをするのではなく、他の指と同じように別々の動きをすることができる。分離前の脳には、4本の指を動かす神経しか作られていなかったが、指が4本から5本になると、脳には5本目の指を操作する場所ができあがったのである。いわば、脳地図が書き換えられたということ。書き換えの元になったの指、つまり体である。体の構造が脳の構造に変化(進化)をもたらしたと考えられるだろう。体の大切さに思いが及ぶ。脳は体の動きをコントロールしているが、体も脳をコントロールしていると言えるのだ。体が動くこと、変わることで脳は新たな構造や機能を身につけていく。脳の可塑性である。

 以上のことを踏まえて、技術の上達に向けた練習の取り組み方(練習内容・負荷)について考えてみると、いくつか気を付けなければならないことがあると思われる。

 1つは、体にかける負荷だ。パフォーマンスを上げるためには、脳の想定以上に体が動くということを脳に認識させる必要がある。そのためには、大きな負荷を体に対してかけ、脳が大きい強度にも耐える体の動きを指示できるようにする必要がある。しかし難しいのは、体がその能力をフル稼働させようにも、体のもつポテンシャルを十分に出し尽くすことに対して脳が事前にブレーキをかけてしまうことである。それは体の安全面からすれば当然のことであろう。だからこそ、最大努力を要求されるトレーニングや高速での運動を要求されるトレーニングにおいて、意識的か無意識的かはともかく、体が壊れるはるか前の段階の低いレベルでトレーニングをすることはだけは避けたい。これは怠惰によるものといえるかもしれない。あるいは体がもっている能力を十分に発揮させずにかなりの余力を残してトレーニングすることは、体が脳の機能と構造の変化に及ぼす影響をよく理解していないからかもしれない。脳と体は分けることはできないが、体が脳を主体的にコントロールしているということをもっと考えてほしい。普段から素早い動きをしていなければ、自分ではいつでも動けると思っていても決して素早く動けないのだ。そのように脳はセットされていくのだから。優秀なバイオリニストの脳は、指に対応する脳の部分が顕著に発達しているそうだ。生まれつき脳がそのようにできていたわけではない。トレーニングによって脳がそのように変わったのだ。

 もう1つは、練習に対する意識だ。練習の意図=何を目的とした練習なのか、何の能力を改善するためのエクササイズなのか、どんな身体の動きを要求しているドリルなのか。つまり、脳からどのような身体の動きをする指示を出させるのか、を常に心に留めていなければならない。ところが残念なことに、我々はしばしば練習に対して『慣れ』とでもいうような感覚をもってしまう。『慣れ』は知らず知らずのうちに我々を練習の意図から遠ざけていく。目新しい練習を導入すると、初めは練習の意図や目的を理解し、その達成のためにプログラムに取り組むが、しばらく同じプログラムを続けると、「あぁ、あの練習ね。」とその練習をそつなくこなすようになる。もちろんいくらかの改善(練習自体が上手になったりすること)は見込まれるのだが、練習のあらゆる質は落ちる。慣れることが負に作用し、練習の意図が置き去りにされる。形式的に数だけをこなすようになってしまう。そしてこれは次第に飽きをもたらし、練習が流れる。当然、体による脳の主体的なコントロールは一切なされることはない。いつしか脳はパフォーマンスの上限を規定してしまい、またその低下を招いてしまうことになる。練習は、体からの情報が脳に影響を与えることを利用して脳地図を書き換えるようなものだから、練習が事務的・形式的に行われることはどうしても避けなければならない。意識するということと合わせ、脳の可塑性がパフォーマンスの改善や向上に重要な意味を持っていることについてもっと理解を深めるべきである。



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